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案内:加納 進
京都市東山区にある四条大橋から東へ150メートルほどのところにあります。この辺りは、鴨川の氾濫のおりに溺死体が流れ着いたところといわれ、その死者の霊を弔うために仲源寺が建てられたといいます。雨宿りをする人々が多かったため雨止(あめや)み地蔵と呼ばれるようになったとも、また、ひとたび大雨ともなれば鴨川が氾濫し、この辺り一帯が水浸しになるところから人々はこの地蔵菩薩に雨が止むようにと祈願したからともいわれています。
目疾(めや)み地蔵というのは、雨止み地蔵の“あ”が無くなり目疾み地蔵と呼ばれるようになったといわれます。
目疾み地蔵は、地蔵菩薩の目が流行眼(はやりめ─流行性結膜炎)のときのように赤い色をしていることからとか、流行眼が流行した折に多くの人々が祈願したことに由来するとか、また、この辺りに老夫婦が住んでいて、その夫が目を病み、しばらくして目が見えなくなってしまい、ある日のこと、いつもお参りしているお地蔵さんが夢枕に現われ「仲源寺の閼伽井の水で目を洗うと良い」とのお告げがあり、早速、仲源寺へ行って閼伽井の水で目を洗ってみるとたちまち目はもとの様に見えるようになりました。お地蔵さんにお礼を述べ、頭をもたげてよく見ると、お地蔵さんの目が真っ赤になっているのです。このお地蔵さんが身替りになってくれたのです。それから目疾み地蔵と呼ばれるようになったと伝えられています。
仲源寺は,平安時代の治安2年(1022)に仏師定朝が四条橋の東北に地蔵菩薩像を祀ったのが始まりと伝えられます。
安貞2年(1228)に鴨川が氾濫したおりには止雨祈願の催しがあり、後堀川天皇が「仲源寺」の扁額を与えたといわれ、このころから地蔵菩薩像を、雨止み地蔵と呼ばれるようになったといいます。
天正13年(1585)に、豊臣秀吉によって現在地に移されました。
仲源寺(目疾地蔵) 京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側
入力:高岡 良次 レイアウト:岡村 拓馬
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