第3回

阿古屋伝説地を訪ねて

案内:加納 進

阿古屋塚

京都市東山区松原通大和大路東入ル下ル轆轤町にある六波羅蜜寺本堂の南に平清盛塔と並んであります。阿古屋塚と呼ばれていますが、実は、鎌倉時代中期に造られた花崗岩の石造宝塔で、台座は古墳の家型石棺の蓋が代用されています。
昔、この辺りが鳥辺野葬場の入口のあたりであったことを想起しますと、遺骸を荼毘に付す、下火(あこー下炬)という点火作法が、このあたりで執り行われたものと思われます。時を経て江戸時代に、近松門左衛門の『出世景清』や長谷川千四と文耕堂の合作浄瑠璃『壇浦兜軍記』の「阿古屋の琴責め」が有名になり、この阿古屋の名と下火が同音であることから阿古屋塚と呼ばれるようになったといわれています。
このころ、六波羅蜜寺の近くの二年坂には水茶屋が軒を並べていましたが、その中に阿古屋と呼ばれる店がありました。これも『出世景清』や『壇浦兜軍記』が上演され、有名になってからのことと思われます。

阿古屋伝説

阿古屋は、『長門本平家物語』や『延慶本平家物語』から取材した世阿弥の浄瑠璃『景清』(室町時代初期)・幸若舞の『景清』に登場します。
これをさらに、江戸時代になって近松門左衛門が改作し『出世景清』を作ります。
このほぼ同時代に、長谷川千四と文耕堂が合作で『出世景清』を改作して五段物の『壇浦兜軍記』を書き上げました。
また、歌舞伎や浄瑠璃の「景清物」の『景清』『阿古屋』『解脱』などでも阿古屋を扱ったものは、しばしば上演されます。
因みに、京都市東山区清水一丁目にある清水寺の境内にある石燈龍の火袋内側に、悪七兵衛平景清が爪で刻んだといわれる「景清爪形観音」があり、本堂の西側には、60センチ程の景清の足形石があります。
清水寺より鳥辺山を西南方向に下りてゆくと西大谷があります。ほとんど東大路五条のあたりといった方がわかり易いかも知れませんが、この附近に、 「牢ノ谷 」と呼ばれる音羽川の渓谷がありました。ここは、景清が投獄されていた牢屋があったと伝えられ、おまけにその北には、身形を整えるのに使ったという「景清姿見ノ井戸」があったといわれます。
このあたりは、阿古屋・景清伝説所縁の地といえます。
牢ノ谷の牢屋の石柵であったという石が、京都市東山区東大路三条西入るの要法寺の庭にあると伝えられます。
また、京都市東山区にある東福寺塔頭の龍眠庵の後の竹林は景清の屋敷跡とその近くに景清の墓があると伝えられています。


六波羅蜜寺 京都市東山区松原通大和大路東入ル下ル轆轤町
清水寺 京都市東山区清水一丁目

京都の史跡を訪ねる会刊『六道の辻あたりの史跡と伝説を訪ねて』より

入力:林 檎  レイアウト:岡村 拓馬