京都市下京区松原通(旧五条通)西洞院東入る藪下町にある光円寺の門前にあり、石碑に「五條西洞院月輪本荘 親鸞聖人御入滅之地 花園殿旧跡」と陰刻されています。
『御伝鈔』「熊野霊告」に、「(親鸞聖人は)五條西洞院わたり、これ一つの勝地なりとて、しばらく居を占めたまふ」とあります。
弘長2年(1262)11月28日親鸞聖人はこの地で亡くなり、亡骸は押小路ノ南、万里小路東の地(中京区柳馬場押小路下る虎石町)にあった善法坊に移されたと伝えられています。
入滅地、善法坊は富小路通三条であったともいわれています。享年90歳。
聖人存命のころのこと、仁治元年(1240)2月常陸国(茨城県)那珂西郡大部郷の住人平太郎という人が、熊野参詣の途中、五條西洞院に住む親鸞聖人のもとを訪ね、熊野詣での是非について訊ねた、とあります