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第20回 東北院(とうぼくいん)
案内:加納 進
東北院はもと京都市上京区寺町通今出川下ル北ノ辺町のあたりにありましたが、移転し て真如堂の西北部の現在、京都市左京区浄土寺真如町にあります。 東北院は平安時代の中ごろ、藤原道長が営んだ法成寺の東北に道長の娘(長女)上東門院彰子によって長元3年(1030)に建造した三昧堂。 康平元年(1058)2月、法成寺が焼失したとき、東北院も類焼し、同4年7月に再建されました。このころの東北院の位置は『拾芥抄』に「一条ノ南、京極ノ東、 上東門院御所、元法成寺内東北角」とあり、現在の本禅寺・清浄華院・盧山寺(?)のいづれかのあたりと思われます。
この東北院も承安元年(1171)に焼失し、その後も再建して細々と命脈を保っていましたが、江戸時代の元禄5年(1692)12月に火災にあい、当時上京の寺町通今出川下ルにあった真如堂や極楽寺・迎稱寺ともに翌年左京区浄土寺真如町に移転しました。 この時、和泉式部ゆかりの“軒端の梅”の後継といわれる白梅も移され、現在、弁財天女を祀る本堂の脇にあります。 奇遇にも東北院の西側の道路(神楽岡通)の西には上東門院の子の菩提樹(後一条天皇陵)院陵があります。 謡曲『東北』(とうぼく) ![]() 世阿弥元清の作。鬘物に属し、幽玄を基調としています。世阿弥の云うところの「ただ美しく柔和なる體、幽玄の本體なり」をよく表した作品といえます。 「年が改まって、また春がやって来た。東国より行脚(あんぎゃ─諸国を旅して修行すること)の僧がこの東北院を訪れ、梅の木のあまりの美しさに魅了され、その由来を尋ねてみると、その昔、上東門院に仕えた和泉式部が手ずから植え、寵愛した軒端の梅であると聞いて、感激を新たにした。 ![]() えて供養していると、朧月夜の闇の合間から和泉式部の霊が現れて昔日の東北院での生活の様子を語り、詠歌の功徳を説いて歌によって得た仏の道を語って消えた。旅の僧は夢からさめると仄かに梅の香りが漂っていた。……」 ─和泉式部が梅の花を愛でて読んだ歌に──
花のをりしる 身ともなるかな 『和泉式部続集』 むめ(梅)がか(香)に おどろ(驚)かれつつ 春のよ(夜)のやみ(闇)こそ 人はあくがらしけれ 『千載和歌集』 入力:加納 進 レイアウト:岡村 拓馬 |